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成功経験に依存しすぎると「新しいモノ」は作れない

最近どういうモノがウケるんだろう?という市場調査的な意味も込めてApp Storeを覗いたら、Zen Bound(※iTunesが開きます)というゲームが人気のようだ。

既存のスキームを超えたものなので、ジャンルとかどういうゲームだ、というのを言葉で表すのは難しいし、自分も実際にやってみるまではレビューを読んでもよくわからなかった。SSもたくさん紹介しておられるので、未購入の方は「AppBank:Zen Bound:待ちわびた、木を縛るiPhone緊縛プレイ。Ghost Monkeyの音楽で時間が消える。136」を参考にされると購入の参考になりやすいかな?とご紹介してみる。

評価も多くて高いので迷わず買ってみたが、やはりこれだけの市場の中で世界中に支持されるモノは、やはり「ゲームってこうでなくては」というようなジャンルとか、そういった前提となるセオリーを壊してるからこそ≒代わりになるものが他にない、創造性の高いジャンルだからこそ成功したのだろうなぁ、とつくづく思わされた。

余談ですが、ウチの会社は朝礼があるのですが、丁度当番だったので、このアプリの例を紹介して「セオリーも大事だが、その枠にとらわれないことも大事だ」というような事を言ったんですけどね。終了直後、「セオリーを踏襲した上で、その上でやらなきゃダメだよね」とマネジメントクラス二人が言ってるのが聞こえた。

下っ端の俺が思うのもなんだけど、そこが“一線”なんじゃないのかよ、と。

セオリー、定石というのは、成功経験の蓄積によって出来たものだ。だから普通はセオリーを踏襲するのが当然だ。しかし、IT業界は変わりのものがいくらでもある。成功するには、他にないオリジナリティがないと難しくなってきている。参入障壁は低いが、その分競合するものも多いからだ。

特に新規コンテンツ企画といったものは、既存のスキームに縛られた時点でアウトだ。そんなものはたぶん競合他社も作ってるだろう。ヒット作のせいで、続編でそこから抜け出せずに失敗する映画やゲームのよくあるパターンと同じだ。また、自分が成功してなくても、他人の成功談を本やなんかで読んで、それを盲信してしまう人も同様。

経済ニュースを斜め読みでもしてれば誰でも分かることだが、「ニーズ」は粗方汲み尽くされて、新しいこと・誰もやったことないことを、顧客ニーズから引っ張る以前にこちらから新しい価値として提案しよう、というタームに入っている。セオリーにとらわれた時点で終わりだ。
本当に創造力の高い人は大抵、まず作りたいもの、やりたいことをとりあえず考えてしまってから、それは可能か・やってもいいことか・穴はないか、などといった、要は現実問題を考える。一般人の我々には難しいことだが、それを知りつつも尚、最初に制限という枠組みを設けた上で、そのサンドボックスに自ら入り込んでしまった時点で、「安全だけど、最初に作った砂場のサイズを越えるもの」は絶対に作れない。より矮小なものしか作れない。実現は難しくとも、学ぶことは出来るハズだ。

セオリー通りの企業がGoogleになりえたか?むしろGoogleがセオリーをつくったではないか。Appleもそうだし、Twitterはじめ、これまでになかったものを作り出した者はみんな「自分がセオリーを作り出してきた」

上に書いたように、Webコンテンツ業界という競合の激しい業種にいる時点で、もう「ウチはもっと穏便にやります」は通用しない。否応なく世界中との競争に巻き込まれる。だからこそスピード感と創造力の双方が欠かせないのではないのか。

まあ、後輩が間違ってると思うなら、面と向かって「それは違う」と言えない時点でまずマネジメントとして失格だね。マネジメントしてないんだから。
また、チャレンジャブルな企画提案を同氏に持ちかけたら「そんな甘いことは無理」と言っていた割に、更に上の上司を通して話してもらった途端、肯定に変わった。何をマネジメントしてるんですか?
本当に有能だと思う上司は、きちんと「下の子と話してるけど、やっぱり下も細かいところをちゃんと見てるんだなと思う」と言ってますね。下の我々からも学ぶところがある、と言われたほうが、遥かにその人の下で働きたいと思いませんか?

自分が正しいかどうかは分かりませんけどね。しかし、少なくとも自分の考えは「絶対間違う」ことを前提としているので、常に自己批判しながらやっていくしかないな、といったところでしょうか。

Webminが意外と使えるようになっていた

FirefoxにしてからGoogleツールバーを使ってなかったので気づいてなかったのですが、いつの間にかGoogle PageRankが2になっていた模様。投稿数でブログポータルとかからの被リンクふえた?とりあえず嬉しいですが、PageRank2くらいって割と個人で簡単にとれちゃうんですよね。何であがったのかはちょっと気になるところですが、とりあえず良い意味であまり気にせず更新していこうかなぁと。

閑話休題。

すごーく昔、自分で空いてるPCにLinuxを入れて遊んでいた頃には「…ダサいし大味で使いにくいな」と思っていたWebmin。今も仕事柄、基本的なことはすべてシェルでやってしまうのですが、社内教育用サーバーにWebminを入れてみたところ、なんだかすごくパワーアップしていた。…うーん。設定が苦手なものもあるから、最低限の設定はコレでやってしまって、細かい部分だけ書き換えるのも楽そうだな…内部向けサーバーなんかでは。(と、いいつつすでにシェルに慣れてGUI設定に戻れない)

正直、(ぺーぺーの自分が言うのもナニですが)サーバーについてあれこれ覚えるにはWebminは使わないほうがいいと思います。サーバーのどこに何があるのかとか、実際にどのコマンドが使われているのかとかが全部ブラックボックスになっちゃうので。分かっていないところを自動でやっちゃうと、色々覚える機会が減るのはもちろん、穴があっても気づけないし、トラブルがあっても原因がわからなくなると思うので。でも、最低限分かってる上でなら、複数サーバーを一箇所のWebminから管理できる機能なんかもついてきているようなので、手間の軽減に使うのはいいかもしんない。

色んな人がモジュールを開発して機能が追加されていくOSSならではだなぁ、としみじみ。

Google Mapストリートビュー、法的OKでももっと慎重になるべきでは

ITmedia:「Googleストリートビュー」は見えすぎちゃって困る?

Googleストリートビューを多少試してみましたが、上の記事にもあるとおり、プライバシー的にどうなんだという論争が巻き起こっているよう。実際、アメリカでも既にこうした議論はされてきたようですが…。

一応、写してほしくない写真が掲載されていた場合は理由と写真をGoogleに報告すれば、写真削除や黒塗りなどの対応がなされるとは言われていますが、一箇所だけ削除なり黒塗りなりされていたりしたら、余計目立って嫌な感じになると思うので、根本的な解決になるかどうかは疑問です。そもそも許可無しに写しておいて、イチイチ膨大な写真の中からマズそうな写真を探し出して報告しないと消してくれない、というのはどうなの?と思います。
なんかの本で、Google社員と会った際、世界政府というべきものがあるとしたら、Googleはそれになろうとしている、といった内容がありましたが、悪いほうの意味でそんな感じになりつつあるよなぁ。検索精度や技術力の高さは認めるところですし仕事でもよく使いますが、手放しで支持したくはないんだよな、Google。

支持する人の声はこんな感じだったかなぁ。

  • 技術的に優れたものなのに、なんとなく不安だとかいった疑惑や想像だけで規制するのは横暴
  • 外に出る時点で見られることに暗に同意しているのと同じこと。外で見られたくないようなことしてるのか
  • Googleが撮影できた場所にあるものは既に外部から見えているものなんだから問題ない
  • これがダメなら、外で写真撮影している人もダメということになる

一方で嫌だ、問題だという人はこんなだったかな。

  • 外観から家族構成とか分かるし、車のナンバーと住所とか色々結びついてしまう
  • 撮影に使われる車のカメラの視点はかなり高い。塀の中までも撮影してしまっている
  • ラブホにこっそり入るところとか、外でも見られたくないものはある

まあ、なんとなく多く見かけたものを主なものとして取り上げました。基本的には「賛成派」の意見も正論ではあると思うけど、「反対派」の意見も間違っているわけではないと思うんですよね。個人的には慎重に行うべき性質のものだと思うので、反対とまではいかないが、やり方は乱暴だなと感じるところがある。

確かに外観だけだから現地にいけば世間に向けて公開されているわけだ、という理屈はわかる。しかし、普通は写真として全世界に公開されたりはしないですよね、しかも住所とセットで(中には表札も移ってるらしいので、場合によっては名前もセットで)。それに、実際に出向くなら物理的に現地まで行ける人は限られますが、ネットで誰でも気軽に見られるなら、何かキッカケがあれば、CGMの原理で見る人が殺到する可能性もあるはず。物理的距離というハードルが下がっている以上、「単に外部からも見られるから同じ」とはいえない。炎上とかしたら殺到するんだろうなぁ。

外だからOK、というのは他にも違和感を感じる。たとえば目の前に見知らぬ人が来て、いきなり写真をとっていったらどう思うだろうか。気にならない人もいるだろうが、多くの人が嫌なんじゃないだろうか。また、単に「見られる」だけなら記憶から薄れていけば何も残らないし、残っても人の頭の中だけだが、写真として残ってしまえばいくらでも記録を残し、複製することができてしまう。この点も「外に出る=見られることに同意している」から「撮影もOK」と結びつけるのは危険だ。

あと、「外で見られたら困るようなことをしなければいい」という意見。ラブホは見られたくなくて、人目を気にしながらコソコソ入る人はいるだろうけど、まさかそれをすれ違った車が撮影しているとは思ってないハズ。実際、ラブホ街でばっちり撮影されちゃってる写真が元記事にも出てますね。実際問題、ラブホ街で出入りする人をパシャパシャ撮影する奴がいたらどうですかね?外だから撮影されてもOKですかね?ましてそれをネットに公開しても、顔ボカシ入ってればOKですかね?それを考えると、十把ひとからげに「外だから写真撮影してる人と同じじゃん」というのは乱暴すぎると感じる。

それ以外に「なんとなく嫌だなぁ」という人もいると思うが、それも当然じゃないだろうか。上のような意見でGoogleに賛成する人は多いが、理屈云々以前に「写真を撮られるのがすきじゃない」といった人もいるし、ましてそれが不特定多数が閲覧可能な状態にされたらどうだろうか。感じ方は人それぞれなんだから、これを否定するのもひどい話だと思う。街頭に防犯カメラが設置されはじめたときもこういった声はきかれたし、そもそも外を歩いているからといって、Web上で公開されるような撮影を拒否する権利はあるはずだ。嫌がる人もそうでない人も、断りなしに一方的に撮影してしまうから嫌だ、という人は多いんじゃないだろうか。

法的なことは専門の方に任せたいし、確かに黒ではないかもしれない。しかし白であったとしても、事前にアメリカで論争があったのだから、日本でだってこうした声が上がるのは十分考えられたはずだ。Googleが「声が上がろうが法的に白なんだからOKだ」という決定を下したのならば、それは傲慢であると思う。

Web上で公開された情報は、一旦キャッシュされてしまえば半永久的に消えないのだから、こうしたものは十分慎重に議論した上で公開されるべきだと思うのだが、如何だろうか。

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